2008年6月17日火曜日

例のアキバ事件。

前回の最後で書いた通り、
先々週の日曜、6月8日の午後1時、
歩行者天国でにぎわう秋葉原の街を震撼させた
無差別殺傷事件の事を少しだけ書いてみたいと思います。


6/8は前の日、オヴァQのメンバーと
都内の観光スポットを巡った
次の日だった事もあり、
暫く行っていなかったアキバに部品を買いに
行こうかと思ってはいたものの、
この日に限って気分が乗らなかったので
珍しく誘いも断って大人しくしていた所に
この事件。。


運が良かった、悪かっただけでは
片付けられない事ですけれど、もし、あの時、
あの場に自分がいたらと思うと恐ろしくなりますね。




既にマスメディアに取り上げられ、
ご存知の方も多いと思われますが、
加藤智大容疑者の、携帯サイトのBBSへの
書き込みを編集したまとめサイトなどで
当時の生々しいやり取りを
この事件が起きた後、
僕も全て目を通してみたのですが、彼の心の闇、焦燥感、
絶望が書き込みの内容にも表れていて、

彼にもし、そばに信頼できる友人や
支えになる何か、それが趣味でも何でも、
現実のストレスを発散出来る(逃避出来る)
打ち込める事があれば、こんな事件は起きなかったと
思うと胸が苦しくなります。


秋葉原通り魔事件掲示板書き込み6月5日



加藤容疑者の書き込みの一覧。
自分の思い通りに行かない事を理不尽で、
全て周りのせいにする事、反社会性が事件を起こした
起こさせた、仕事のトラブル等がマスコミで
取り上げられますが、
僕はそこが事件の起こした原因、真相だとは思いません。

どんなストレスも、ある日0からMAXまで
いきなり溜まるんじゃなく、少しづつ、
少しづつ溜まり、ある日突然、爆発するのがほとんどです。
ネコに追い詰められたネズミが逆にネコに襲い掛かるように、
『窮鼠猫を噛む』じゃないですけれど。。





原因が自分の中に有る事を認めずに、
他人のせいにしていれば、心は楽です。

ですが、それは現実逃避でしかありませんし、
自己の反省、人からの指摘で
得られるモノだってあるはずなのに、それが出来ないのは
幼少の頃の、親からの過度のしつけや
過剰なまでの勉強を押し付けられたことに
起因するのでは?と僕は考えます。
実際、彼は相当両親を恨んでいたようです。
(彼の小学生の頃の話がよく言われていますね)

http://www.johoguard.com/SSK.html





心的起因
心的起因の人の多くは、幼年期から青年期にかけて「孤独」を
経験している場合が多く、
コミュニケーション力が失われている人が多く見受けられます。

そして、そう言った人は少年期や
青年期に「赤面」「どもり」や、「笑われる」事に対する不安や
「人前で喋る時の緊張」などがあり、
そう言った事で「いじめ」の対象にされたりした
経験を持っている場合も多いのです。

もっと判りやすく言えば「あがり症」や
「対人恐怖症」で、恐怖症と自覚していない人は、
人との付き合いを「面倒」などと思っていたりします。


--中略--


しかし、社会不安症害などの神経症から
境界性人格障害(妄想性人格障害等)に進行し、
統合失調症に至ると言った方が適切かもしれません。








以前、集団ストーカーについて、
調べていた時に見つけたHPです。
加藤容疑者は、このケースに当てはまるのでしょうか?
病気だからといって、彼のした事は許されることではないし、
人を殺せば、その先に待っているのは
加害者の身内にも、被害者の身内にも
不幸でしかない事は、少し考えれば分かる事なのに、
それが出来なかったのは
彼が追い詰められていたからでしょうか?

それとも憎しみにとらわれて、
周りが見えなくなっていたから?



彼の掲示板での書き込みを見ていると、お酒を飲んで
気分を紛らわせようとしている箇所が
何度も出てきます。














『人間と話すのって、いいね』

『店員さん、いい人だった』



福井でナイフを購入した際、店員さんとの
会話で嬉しそうに話す姿が、防犯カメラに映っています。
この言葉だけを見るなら、とても人を殺すような
極悪人には感じない。


僕もブログをやっている以上、自分のひとりよがりな、
自己中心的な、今もこうやって、
幼稚な文章を書いたとしても、毎日見知らぬ誰かが
CrossOverを見ていてくれる、
その見て下さっている方の中には、
僕の文章にも、もしかしたら、

誰かが共感してくれているかもしれない、
笑ったりしていてくれるのかもしれない。

こうやって僕は、日常生活の中からの
自己顕示欲も自己表現欲も、
はけ口とか言うと聞こえが悪いですが
満足感を得るわけです。

それは他のブログやHPの管理人の方々も
同じような方が多いと思います。

事件を起こした彼も同様に、
色んな人から共感を得たかったのかもしれない。


以下、宅間伸の事件の際、以前書いた記事と
同様に、文章を加筆修正して、載せてみます。







--
子供の頃に、もっと両親の愛情に恵まれたり、
かけがえのない友人が居たら、
そんな風にならなかったんじゃないだろうか?

心の中にある闇に溺れる前に、
誰かが救い出してくれたんじゃないだろうか?

誰だって心の中には闇の部分はあると思うし、
どんな人間だって聖人君主なんかじゃない。
怒りも、悲しみも、嫉妬も、憎悪も、多かれ少なかれ
みんな感じたりしている。
だけど、抑え込む事が出来るのが、大人なんじゃないのかな。

僕だって『コノヤロー殺してやる~』って思う事はあっても
それを相手に口に出して言う事は無いし、
仮に相手に言ったとしても、実際に
そんなの実行しようなんて思わないし、相手の事を考えたら出来っこない。

池田小の事件と同様に、僕は加藤智大容疑者に
99の憤りを感じるとともに、1の哀れみを抱きます。


bone氏の言葉で、
誤解されるような表現をしてしまったかもなので、付け足します。
別に僕が宅間守と同じような犯罪を犯すわけではないし、
彼ほどの「心の闇」があるわけでもないのです。
でも、その犯罪性は、どこか遠い国のお話みたいな、
自分とかけ離れたものではない。

もしかしたら、僕も彼と同じ道を
歩んでしまっていたかもしれないという、
そういう恐怖みたいなものが、ただあるという感じです。

彼ほどの凶悪性はないけど、
それよりも小さな形でなら、発散するかもしれない。
それには注意していかなくちゃな、と思います。



僕も同じです。自分の持つ、心の闇に
喰われないように、ストレスと言うか、
そう言うドス黒いモノを
発散していかないといけないなと常々思います。

生きていれば、少なからず、良い事もあれば
嫌な事だってあります。

でも、きっとそれは、今こうやって幸せに生きているって言う
ありがたみを感じる事が出来ないくらい、
自分が現在、幸せな暮らしを
しているからなんだろうな。

それでも自分は、今現在が、他の誰よりも
凄く幸せだなんて思わないけれど。
--


・ 池田小事件・宅間死刑囚の死刑執行について。



























  ***








一昨日の日曜、秋葉原で人とお会いする約束があったので、
(それは次回のエントリにでも)

自宅から秋葉原へ行く途中、
事件現場の交差点に設置されている、献花台に添える
献花用の花を買って、道中ずっと手に持っていたのですが
特に中央大通りを通っている最中、大勢のマスコミの連中に
ジロジロ見られたのは、物凄く気分が悪かった。

献花台に僕が花を添えて、手を合わせている時も
常にビデオカメラをこちらに向けて録画している人、
カメラでそれを撮影している人。。

甘い考えかもしれないけれど、
この凄惨な事件が金儲けの道具として
利用されているんだと想像すると
胸糞が悪くなります。




今回、秋葉原の街並みの写真は
僕は一切撮っていません。

人がいない時間に撮れば、良いのかもしれないけれど、
あの異様な雰囲気の中、
事件の詳細を知ってしまったら
とてもじゃないけど、
あそこでカメラを出して気楽な、物見遊山的な
気分で撮れるような事は出来ませんでした。

綺麗事も調子の良い事も、
CrossOverでは書いていると思われるかも
分かりませんが、写真を撮りたくない、
撮れないと思ったのは本心です。

一般の方よりかは、秋葉原に行く機会が多い者として
せめてもの、亡くなられた方に対する、僕の気持ちです。









あの場所を、他のブログやHPで見た事がある方なら
分かると思いますが、現場がまだ以前の、
いつものアキバの街並みに戻る(落ち着く)まで
当分時間がかかりそうです。

亡くなられた方のご冥福を祈って心から止みません。